標高500m未満の低山を連ねる、青梅丘陵ハイキングコース。青梅線の各駅から歩いて登れること、入下山ルートが多彩なこと、奥多摩や奥武蔵方面の眺望が開けていることなど、ハイキングコースとしての好条件が揃っています。道標、階段、ロープなども要所要所に設置され、安心して歩けるのですが、熊には注意しましょう。
地理院地図: 雷電山
青梅丘陵の天気: 東京都青梅市
レポ: 三方山・オキジョウゴ
1月18日、穏やかな冬晴れの日。青梅丘陵を歩いてきました。正月から運動不足気味になっていた体を慣らすのに、ちょうど手ごろな低山ハイクです。辛垣(からかい)城跡の近くで、ニホンカモシカを見ることもできました。
午前8時、高校受験願書を提出に行く娘を見送って、遅めの出発になりました。ここ数日厳しかった寒さが緩み、風もほとんどない晴天です。でもJR八高線が多摩川を渡るとき見えた富士山は、春霞のかかったような薄い白のシルエット。こんな日は遠望が期待できなくても、低山歩きにはほど良い日和です。
青梅駅で乗り継ぎ電車を待ちます。昭和レトロ調の、青梅駅ホームの待合室。昔見た映画のポスターが張られています。すぐに来た奥多摩行きの電車に乗り、10時10分、軍畑駅に到着。高水三山に登ったときと同じ、のどかな小川沿いの道を北に向かって歩きます。平溝橋で高水三山への道を左に分け、やや勾配の大きな車道を登って行くと、「青梅丘陵ハイキングコース」と書かれた道標がありました。「11月21日に、雷電山〜辛垣城跡付近で熊の目撃情報がありました」という注意書きもあります。これは気をつけねばなりません。
ハイキングコースは、けっこう急な登りで始まります。ありがたいことに、道はよく整備され、階段もしっかりしています。一つ目の峰を登り切った所で、準備運動をして、骨格を整えました。二つ目の峰を越え、三番目の峰の上に至ると、雷電山の頂上でした。ここが、きょうのルート上の最高峰です。北側の展望が開けていて、大きな採石場が見えます。そこからの騒音が、山々から反射するエコーを伴って鳴り響いてきます。雷電山は、名実ともに音の響く山でした。
雷電山から12分ほど進むと、「辛垣城跡上り口(急坂)」という道標がありました。「500m先で本線に合流」とも書かれています。城跡を経由しても、歩行時間が10分ほど多くかかるだけのようなので、入ってみます。大した急坂はなさそうです。
途中に、板を何枚も貼り合わせたような岩が登山道に立っていました。そこを過ぎてしばらく歩いたとき、ガサガサと動物の動くような音が聞こえました。あの注意書きに、「雷電山〜辛垣城跡付近で熊の…」と書いてあったのは、まさにこのあたりでしょう。全身に緊張が走ります。音のした方を見ると、あれっ?カモシカが私の方を見ています。大きいのとやや小ぶりなのと2頭です。親子かもしれません。ああ、良かったと安堵すると同時に、おお、これはラッキー、とさっそくカメラを構えます。
カモシカは広告写真のモデルのように、身動きせずに、じっと私の方を見ていてくれます。でも光量が不足なのと、10倍ズームを最長にしたのとで、大きな手振れが生じてよく写りません。ここは下手な鉄砲も数打ちゃ当たるだろう、と思いながら、立て続けにシャッターを切り続けました。最も手振れの少なかったのが、上の写真です。
カモシカが立ち去った後、辛垣城跡にやって来ました。城跡と言っても、どこがどうなっていたのか、偲びようもないほどの荒城です。説明板を読むと、大正末期まで行われた石灰石の採掘によって、山頂の平坦部が崩れてしまったとか。これでは、わざわざ見に来るほどのものではないように思いますが、山城とはこのような場所に築くものだ、ということの勉強にはなるかもしれません。
城跡からの道を進んで行くと、右下方に「本線」が見えてきました。やがて城跡ルートが本線と合流し、そこにも「辛垣城跡上り口(急坂)」という道標があります。さらに少し進むと、名郷峠でした。小さな石の祠が祭られています。道標の根元には、「両神水」と書かれた水が、2リットルのペットボトル5本に詰めておいてありました。そういえば、この青梅丘陵ハイキングコースには水場が見あたらないのです。生で飲むのでなければ、役に立つこともあるでしょう。
その先の送電鉄塔の下、小さな明るい峰にやって来ました。奥多摩の一部を望むことができます。中央にぽっこり盛り上がっている峰が大岳山でしょう。手前には多摩川の河岸段丘と、そこに立つ家並みが見えますが、多摩川そのものはよく見えません。
この明るい峰から8分ほど下って行くと、二俣尾駅からの道を右から合わせます。その道を、熟年の男性が二人、別行動のようでしたが、それぞれ登って来ました。きょう初めて山中で人に出会ったので嬉しくなり、この先に熊かカモシカがいるかもしれませんよ、と話してあげました。
さらにその先3分ほどのところで、北斜面が広く伐採されていました。奥武蔵の山々が望めます。帰宅後に地図をつなげて調べると、武甲山、武川山、伊豆ヶ岳であることが分かりました。三方山を目指して、どんどん歩いて行くと、ノスザワ峠と書かれた小さな道標と、「成木八丁目バス停」と「栗平・賢治の学校」を示す大きな道標とがありました。
三方山はまだかな?と歩いていると、さらに広々と斜面の樹木が伐採された箇所がありました。奥武蔵方面がいっそう良く見えます。行く手の尾根上には白い踏み跡が、ふっくらとしたアップダウンを描きながら伸びてゆきます。この青梅丘陵のハイライトと言ってもよいかもしれません。気分良く歩いて行くと、「企業の森・東芝府中」という看板が立っていました。東芝の森というのは、世界中にあるようです。150万本も植えるのですか。植林後の手数も大変なことでしょう。
ところで、ここまで来て三方山がないのは、変な気がしてきました。地図を広げると、もう通り過ぎてしまったようです。三方山を指す道標がなかったか、見落としたのでしょう。三角点には立ってみたかったのですが…。先ほどの「ハイライト」の北の峰が三方山だったのだと思います。
「企業の森」の看板から3分ほど歩くとT字路になっていて、私が目指す「青梅鉄道公園方面」へは右に直角に曲ります。その2分ほど先、高圧送電線の真下ですが、日当たりのよい小峰の上に休憩所があります。小さな子供たちと仲良く弁当を食べる、幸せな家族のイメージが浮かんできました。さらに3分先で、JR石神前駅からの道を右から合わせます。その4分先では、黒仁田への道を左に分けました。
13時13分、防災ポイント⑨に、感じのよい休憩所があったので、お昼にしました。今朝作って来た温かいミルク紅茶もいただきます。きょうはおつまみも持ってきました。
ベンチに10分ほど座っていたら体が冷えてきました。歩き続けることにします。ここまで、大して疲れてはいません。でも山道はすぐに終わってしまいました。
13時34分、日向和田駅への分岐に到着。ここから、道が広く、平坦になっています。遊歩道だと思うのですが、自動車も通行できそうなほどです。これ以後、終点の青梅鉄道公園までずっと幅広の道路でした。
矢倉台から鉄道公園に至るまで、南側が開けた場所がいくつかありました。その各所で望める、奥多摩の山々、水面の光る多摩川、素朴な青梅線の単線レールなど、箱庭を見るような楽しさがあります。第4休憩所付近の南斜面には、たくさんの桜の木が植えてあります。青梅丘陵ハイキングコースに、人の手で花の名所を造ったのでしょう。ここはもう山というよりは公園の道路です。でも行き交う人々は例外なく、率先して「こんにちは」と言ってくれました。
14時41分、終点の青梅鉄道公園に到着。入園料わずか100円なので、ちょっと覗いてみようと思って入ったら、1時間近くもいてしまいました。私が気に入ったのは、デコイチ(D51)の機関室と、初代新幹線の運転席。これら、人が造った生き物たちは、一部壊れてはいますが、本物ならではの親しみと品位があります。
最後に記念館を出るとき、玄関脇に「のら園長」の席があるのに気づきました。園長さんはどこかな、とキョロキョロしていると、スタッフの方が、ここですよと、教えてくれました。玄関の外、日の当たる壁際に置かれた、発泡スチロールの箱の上でのんびりと眠っていました。帽子は冠っていません。スタッフの方の話では、帽子を被せてやっても、どこかで失くすといけないので、ということです。
15時50分、再び青梅駅のプラットフォームに立ちました。今朝入った待合室に、また入ります。今度は「ロミオとジュリエット」の映画ポスターを入れて、室内を撮影しました。入線した東京行き快速に乗り、座席に腰を下ろして帽子とカメラをリュックにしまいます。発車メロディー「ひみつのアッコちゃん」が流れます。次の瞬間、「まもなく西立川です」というアナウンスが聞こえ、はっと目を覚ましました。
立川駅で乗り換えた電車には、「むさしの号」という名前が付いていました。初めて乗ったのですが、普通に使われている通勤車両と同じのようです。車内に武蔵野の風景写真でも展示したら、もっと素敵になるのではないでしょうか。ひょっとしたら、私はまだ鉄道公園のベンチで、夢を見続けているのかもしれません。
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