旧・秋山村(現・上野原市の南部)の一古沢(いっこさわ)から大地峠(おおちとうげ)にかけて、林相の美しい尾根があります。展望は利かず、道標もほとんどありません。
デン笠の名の由来は分かりません。田笠の読み替えという人もいます。私の直感では、「電笠」です。昔々、各家庭の部屋で使っていた電灯の笠です。
甚之函山は、旧大地峠から至近距離にあります。かつて大地峠を行き交った人々が、この山を通過したと思われますが、今日訪れる人はまれで、ひっそりとしています。
神奈中バス: 藤野駅 → 奥牧野
地理院地図: デン笠
デン笠の天気: 上野原市 , 四方津駅 , 秋山
レポ: 秋山山稜 , 阿夫利山
11月22日、上野原市の大地峠から東南東に伸びる尾根を歩いて来ました。かつての秋山村です。きっと秋に山が美しくなるのではないか、と勝手に想像していたのですが、今年こそ確かめてみようと思って出かけました。
秋山地区へは、JR上野原駅8時28分発の無生野(むしょうの)行きバスも利用できますが、もっと早く歩き始めたいと思い、藤野駅7時14分発の奥牧野(おくまぎの)行きバスに乗りました。乗客はわずか2名で、一人が金剛山で降りてからは、終点まで私一人きりでした。おそらく、通勤・通学客を駅まで運ぶための運行なのでしょう。運賃は280円でした。
奥牧野バス停から、県道35号を西に向かって歩きます。神奈川県から山梨県に入ると、前方右手にすっきり三角形の山が見えてきました。これがデン笠でしょうか?ネット上の山行記では、これを金ピラ山とする記事はあっても、デン笠とするものは見当たりません。地図を見ると、デン笠の方が金ピラ山よりも山体が大きいのですが、一古沢バス停から視た場合に金ピラ山がデン笠を完全に覆い隠すのでしょうか。あるいはデン笠というのは、金ピラ山をも含む山稜の総称なのでしょうか。次に行ったら、地元の人に尋ねてみようと思います。
一古沢バス停から、北の農道に入ります。山の上に見える送電鉄塔を目指して歩いて行ったら、迷うことなく161号鉄塔の下に着きました。付近にリンドウのつぼみがいくつもありましたが、濃むらさきの花が咲くにはまだ時間が早いのでしょう。団塊世代の私には、「りんどう峠」のシャリン、シャリン、と馬の鈴の音が頭の中で聞こえます。ここで念入りに準備運動をし、澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込みました。スニーカーから登山靴に履き替え、出発準備完了。鉄塔の下をくぐり抜け、送電線巡視路に入ります。
巡視路に入って5分も歩かないうちに、紅葉した木々が待っていました。庭師が植えたのではない天然のモミジが、見てくださいと言わんばかり、全力を尽くして真っ赤な装い。これが秋山村の秋なのか…痛快に赤い。来て本当によかった。きょう一日は、私も全力を尽くして極上の美を堪能させていただこう。
イノシシ除けのゲートを開けて、入って、また閉じます。そこからイノシシ除けの柵に沿って歩くことになりました。送電線の管理のためなのでしょうが、とても歩きやすくできた道です。感謝しながらどんどん進んで行きました。
送電鉄塔158号の直下に、素晴しい展望地がありました。右手に「電笠」の形でデンと合体した、金ピラ山。左手には道志の山並みが、立体感も豊かに、青い陰影のついた山脈を成しています。送電線の行く先に立つ三つの峰は、三本杉山あたりでしょうか。これらはいずれも、いつの日か歩きたいと思ってきた山々ですが、今こうして眺めるといっそう登山意欲がかき立てられます。
その先を下って行くと、桜井峠でした。南から上って来る道路が、ここから北側では未舗装になっています。桜井峠から入山される方には、この桜井峠から158号鉄塔まで登って見られることをお奨めします。
桜井峠のゲートは、扉を少し持ち上げるようにしたら、容易に解錠と施錠ができました。そしてその先は、電気柵に沿って、明るい、景色のよい道を歩きます。眼下の畑と集落、ススキ原、たなびく薄靄、その向こう側の山並みなどを眺めながら、気持ちよく進んで行きました。陽射しをたっぷりと浴び、つい季節を忘れそうに蝶や花とも挨拶。ところが、途中から厄介なセンダングサが生い茂り、狭い道を占領していました。
センダングサは、この時季に1〜2cmの細長い種をつけます。その先端に刺のような突起があり、これと接触した衣服などに種がくっ付きます。たちまちシャツもズボンも、リュックも靴も、即効性の毛生え薬を浴びたかのように、ツクツクになってしまいました。おそらく何千個かの種に取り付かれたと思います。素晴しい観光歩道の通行料は、タダではありませんでした。
この大きな恵みと小さな試練の道を通り抜けると、道の突き当たりに小さな標識がありました。金山峠、新大地峠へは右折します。ここからの登りで藪こぎを強いられたという記事もありますが、きれいに刈り込まれていて、難なく歩けました。私はセンダングサの種を幾たびも引き抜いては、なるべく暗いところに捨てながら、登って行きました。センダングサは明るいところに好んで生えると思ったからです。幸いこの種は、引っ張れば簡単に取れます。でも手で払ったくらいでは落ちません。
分岐にやって来ました。尾根すじを直登する道と、北側に回る道との選択を迫られます。こういう場合は、判りやすい道を歩こうと、尾根すじの方を選んだら、これが正解。尾根の直登なので、傾斜が急になります。落葉で足が滑りそうになったところもありました。骨が折れますが、きれいな紅葉や黄葉が、絶え間なく励ましてくれます。実は大した高度差がないことも、地図を見て知っています。ほどなく金ピラ山頂に到着しました。
山頂の石祠は、倒壊していました。壊れてから相当な年月が経っているようです。これを見ていたら、「金ピラ山」というのはかなり古い名称ではないかという気がしてきました。そもそもカタカナでピラと書くのは、神様に対して失礼ではないでしょうか?祠を修理する人もいなく、お参りする人もいなく、名前の文字も忘れられてしまったとしたら、寂しいことですが、もはや遺跡。そして、合体姿のニックネーム「デン笠」という呼び方が普及したとは考えられないでしょうか?
金ピラ山頂で甘いものを口に入れ、10分ほど休憩しました。デン笠に向かいます。5分ほど歩くと、大きな岩が立ちはだかっていました。真っ直ぐ上を越えることもできそうですが、ちょっと危なそう。それに山行レポートにも、より安全な通り方を書きたいものです。ここは少し後に下がって、左側(南)の肩に回り、楽々越えることができました。
金ピラ山頂からデン笠山頂にかけて見られた紅葉と黄葉は、この日の圧巻でした。写真でも文章でも、私の表現力でその感動を伝えることは無理。木々の葉、空気、太陽光、山の個性、そこにいる自分、その他諸々の構成員。いずれも力を惜しまぬ者たちによる合作として生まれたアートです。ぜひ美術館(山)に足を運んで鑑賞してください。
デン笠の山頂は、なだらかでした。山頂に標識がなければ、うっかり通り過ぎてしまいそうなほど。やはりデン笠はピーク(峰)の名というより、大きく見た山体の名前なんだろうと思います。ところで、山頂から北方の枝越しには、笹尾根と大岳山が何とか望めました。葉がすべて落ちきった冬は、展望が利くと思います。
デン笠を下って行くと、黄葉のオンパレードでした。北面(右)は檜林で暗いのですが、南面の木の葉は逆光が透過し、黄金色がまぶしいほど。まるで来世のような(?)雰囲気の道を金山峠まで緩やかに下って、また登ります。やがて北面も広葉樹林となり、枝越しに高柄山(たかつかやま: 733m)が見えるようになりました。デコボコした稜線が特徴的です。その山腹を埋め尽くす木々の紅葉がまともに順光を浴びて、錦織のような鮮やかさ。高柄山は、どこから見ても落ち着いた、盟主的な存在感のある名山だと思います。
高柄山と大地峠を結ぶ稜線が右から接近してくると、こちらはいつの間にか杉林になっていました。やがて広葉樹と松、モミなどの混合林になり、木々が背の高さを競うようになりました。高々と天を飾るような紅葉や黄葉を見上げるときは、足が止まってしまいます。書くのはちょっと恥ずかしいのですが、「ああ、きれいだ」と言ったら、フワリ、フワリとモミジの葉が一枚、足もとに落ちてきました。
その後、程なく大地林道を横切り、尾根の続きを登って、大丸山頂に到着しました。東方が開け、眼前の高柄山をはじめ、高尾・陣馬方面、石老山、焼山方面など、すっきりと望めています。ただ、東京の上空にだけ、黒っぽいガスが滞留しているように見えました。汗で湿ったベストを脱ぎ、道標の腕木をハンガー代わりにして乾かします。腰を下ろす適当な場所がなかったので、ここで立ったまま昼食にしました。気がつくと、センダングサの種は、80%以上がすでに落ちていました。
さて、きょうは甚之函山へ往復する計画です。実は、旧大地峠に立ってみたくて、甚之函山は、そのついでにという訳です。大丸から矢平山方向に進んで行くと、大地林道に下りる小道がありました。転落しないように注意しながら、林道法面の上縁まで行って見ます。すると、樹木の枝に妨げられることなく、甚之函山と丹沢をすっきり見渡せました。丹沢最高峰の蛭ヶ岳は袖平山に隠されて、頭だけが見えます。しかし、焼山とその先まで続く長い稜線が、きれいに一望できたのは収穫でした。
矢平山の東尾根を登り始めると、左に巻き道が分岐していました。この巻き道は甚之函山に近づく方向なので入ってみると、旧大地峠がありました。去る9月14日に秋山山稜を歩いたとき、旧大地峠に気がつかなかった訳が、これで解りました。この道を通らなかったのです。疑問が解けて気分もすっきりし、甚之函山に向かいます。右(西面)に、隣接峰の矢平山が枝越しによく見えていました。
甚之函山もひっそりとしていました。山頂標もベンチもない山です。三本杉山を経由して登る人々がいるようですが、今でも何か人を惹きつける魅力があるのでしょう。静けさを楽しんだり、名前の由来を考えたり、往時の行商人の姿を思い浮かべたり…。私は、また来るとしたら、シックな山頂プレートを用意してこようかな、などと想ってみました。もちろん、立ち木に針金を結んだり、ねじ釘を打ち込んだりはしません。
来た道を戻ります。大丸は西面を巻き、登山路が大地林道と交差するところにある可愛らしい休憩所で腰を下ろしました。ここで登山靴を脱ぎ、スニーカーに履き替えます。気がつくと、センダングサの種は、全部きれいに落ちてしまっていました。賢いやつらです。私の家まで付いて行けば、ゴミ箱に捨てられるか、洗濯機で水葬に付されてしまうでしょう。ただ、登山靴のゴアテックス部分だけは、種が外れていませんでした。
川合峠への下山路でも、ここかしこで美しい紅葉が見られました。電車の時刻表と時計を見ながら、素晴しい山の時間を惜しみつつ、ゆっくりと下って行きます。北面に権現山の見える場所があり、そこでこの日山中で、初めて人を見かけました。女性の単独さんです。そこから少し下ると、女性的な顔立ちの石仏がありました。寛政六年という文字が読み取れます。頭の上が欠けていますが、馬頭観音でしょうか。ひとり合掌して、通行人の無事を祈ってくれているように見えました。
最後にちょっと道草を食って、犬嶋神社(山と高原地図では「大嶋神社」)に行ってみます。途中で、民家の庭の可愛い犬に吠えられました。道にゴミひとつ落ちていなくて、気分のいい界隈です。神社は集落のほぼはずれにありました。拝殿の扁額には、「正一位、犬嶋大明神」の文字。なぜ犬と嶋なのか、知りたく思いましたが、この神社の由緒は分かりませんでした。境内に杉の巨樹が2本立っています。四方津駅から倉岳山方向を望むと、2本の杉がミミズクの頭のような形に見えます。
四方津駅で運賃表示板を見ると、八王子駅で乗り換えるときに改札を一旦出ることで、90円も節約できることが分かりました。ちょっとしたボーナスです。それにしても、不思議な運賃体系ですね。皆さんも、時間があれば運賃表示板をご覧ください。
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